令和2年 大相撲春場所の番付発表
2020年2月24日、大相撲春場所の番付が発表されました。その番付の中にはちょっと耳慣れない『横綱大関』という言葉が!?西の横綱である鶴竜に「横綱大関」と表記されているんです。
これってどういう意味なんでしょうか?
「横綱大関」とは?
「横綱大関」とは、横綱が大関を兼ねるという意味です。令和2年春場所では、大関は貴景勝ひとりだけとなり東の大関となったため、西の大関が空席となったのです。そこで、西の横綱である鶴竜が大関を兼任することになったというわけなんですね。
ということは、もし東西の大関がともに空席だったとしたら、東西から二人の横綱が大関を兼任する「横綱大関」となっていたわけです。
先月、豪栄道が引退して一人大関となってしまったことから、新たな大関が誕生するまでは、当面「横綱大関」という表記が続くことになるわけですね。そういう意味では、一日も早く新大関が誕生して欲しいものですね。
ちなみに、番付で「横綱大関」という表記は昭和57年初場所の「横綱大関 北の湖」以来、38年ぶりのことなんです。
「横綱大関」の表記の歴史について
「横綱大関」という表記は、横綱制度が確立する以前、江戸時代の大関が最高位とされていた番付の歴史が背景にあります。
もともと、昔の番付の一番上に表記されるのは「大関」で、横綱は大関の中で綱を締めて土俵入りすることを許された力士のことを意味していました。番付の長い歴史のなかで「三役」(大関・関脇・小結)というものがありますが、その三役のなかで大関が欠かせないということになり、横綱が大関を兼ねるという形をとることとなり「横綱大関」と表記されるようになったのです。
相撲博物館によると、番付の一番上に初めて「横綱大関」と併記されたのは、昭和18年1月の「横綱 安藝ノ海」だったそうです。その後、昭和56年秋場所では東西の大関が不在となり、東の横綱・北の湖と西の横綱・千代の富士がともに「横綱大関」と表記されました。その場所で関脇だった琴風は12勝をあげて優勝し、場所後に大関に昇進したのです。ちなみに、琴風が大関に昇進した後、隆の里、若島津、朝潮が次々に大関昇進を決め、大関不在の場所からわずか1年半で4人の大関が誕生したのです。
この2場所後の昭和57年初場所では、大関は東の琴風ひとりとなり、西の横綱・北の湖が「横綱大関」となりました。
大関昇進がかかる朝乃山にチャンス到来か!?
令和2年春場所では、関脇・朝乃山の大関昇進がかかっています。朝乃山は会見で「大関取りの場所なのであまり意識することなく15日間戦いたい。自分の持ち味である右四つをしっかり磨いてあとは気持ちで負けないようにしたい。自分の相撲を取りきることが大事なので、12勝ではなくその上を目指して頑張りたい。」「大関という地位が1つ空いているのでこのチャンスをものにしたいと思います。」と意気込みを話していました。
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